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海外テニス

「私を導いてくれた」バーティーがウェアに込めた思い。50年前のウインブルドン優勝者グーラゴングを追いかけて<SMASH>

内田暁

2021.07.12

バーティーは50年前にグーラゴングが優勝した時に着用にしていたウェアを模したデザインにして、彼女の功績を広めたいと願った。(C)Getty Images

バーティーは50年前にグーラゴングが優勝した時に着用にしていたウェアを模したデザインにして、彼女の功績を広めたいと願った。(C)Getty Images

 白いスカラップドレスのレースが、勝者を包むように揺れる。

 2021年ウインブルドン優勝者がまとうウェアは、50年前、同じコートで歴史を築いた選手のそれを模したものだ。そのウェアを介し、半世紀の時を経て、受け継がれる意思が“テニスの聖地”に踊った。

「あなたが、ウインブルドンで優勝した時に着ていたウェアと、似たデザインのアウトフィットを着たいと思っているんです」。今大会が始まる前、アシュリー・バーティーは、そんな一本の電話を入れたという。

 かけた相手は、イボンヌ・グーラゴング。バーティーが尊敬する師であり、「家族のような存在」であり、そして、オーストラリア先住民というルーツを共有する同志でもある。

 “ウインブルドン優勝”という夢を見始めたのがいつだったか、バーティーの記憶に、明確に残ってはいないという。「オーストラリアの文化はイギリスと深く結びついているし、ウインブルドンこそが、テニスの始まりの地だと感じていた」

 芝の緑の上を踊る白いドレスに、優勝者が掲げる銀のプレート——。彼女が、テニスで最も美しい瞬間を思う時、それは自ずとウインブルドンの光景だった。

 その聖地で、最後にトロフィーを掲げたオーストラリア人選手が、自分と同じルーツを持つと知った時、敬意とともに「自分も同じ道を歩みたい」と願ったのは、あまりに自然な順路だろう。やがて、彼女がテニスで次々に結果を出し、「天才少女」として全国で知られる存在となった頃から、グーラゴングは折に触れ、バーティーに道を示してくれる存在となった。
 
「子どもの頃には単なる夢だったものが、リアリティを増すにつれ、つらいことも増えていく」という苦悩の始点は、10年前。15歳で、ウインブルドンのジュニア部門で頂点に立った時だろう。“グーラゴング以来の、オーストラリア人ウインブルドン優勝者”への期待は、少女の双肩に重くのしかかる。

「彼女は、単なるジュニアチャンピオンではない。その才覚ゆえに、“スペシャルなジュニアチャンピオン”だった」と述懐するのは、自らも天才少女と呼ばれた、往年の名選手のトレーシー・オースティン。グーラゴングが2度目の優勝を果たした1980年ウインブルドンの準決勝で、グーラゴングと対戦し敗れた選手でもある。

 スポーツ大国を自負する国で集めた注視は、テニスは抜群にうまいが、ややシャイで家族との時間を愛する少女のキャリアに影を落とす。
 
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